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なんぢ奴隷にて召されたるか、之を思ひ煩ふな(もし釋さるることを得ばゆるされよ)
各人その召されし時の状に止るべし。
召されて主にある奴隷は、主につける自主の人なり。斯くのごとく自主にして召されたる者は、キリストの奴隷なり。